未来に関する四十四の根拠
次に、未来に関する四十四の根拠が挙げられます。
1.有想論
※死後に想い(意識作用)のある我があることを主張する。
①我は不変であり、死後、色があり、想いがある、と主張する。(19)
アージーヴィカ教などの説という。
②我は不変であり、死後、色がなく、想いがある、と主張する。(20)
ジャイナ教などの説という。
③我は不変であり、死後、色があり同時に色がなく、想いがある、と主張する。(21)
④我は不変であり、死後、色があるのでもなく色がないのでもなく、想いがある、と主張する(22)
⑤我は不変であり、死後、有限であり、想いがある、と主張する。(23)
⑥我は不変であり、死後、無限であり、想いがある、と主張する。(24)
⑦我は不変であり、死後、有限であり同時に無限であり、想いがある、と主張する。(25)
⑧我は不変であり、死後、有限でもなく無限でもなく、想いがある、と主張する。(26)
⑨我は不変であり、死後、均一の有想であり、想いがある、と主張する。(27)
⑩我は不変であり、死後、種々の有想であり、想いがある、と主張する。(28)
⑪我は不変であり、死後、少量の有想であり、想いがある、と主張する。(29)
⑫我は不変であり、死後、無量の有想であり、想いがある、と主張する。(30)
⑬我は不変であり、死後、極端な楽があり、想いがある、と主張する。(31)
⑭我は不変であり、死後、極端な苦があり、想いがある、と主張する。(32)
⑮我は不変であり、死後、楽と苦があり、想いがある、と主張する。(33)
⑯我は不変であり、死後、楽もなく苦もなく、想いがある、と主張する。(34)
2.無想論
※死後に想い(意識作用)のない我があることを主張する。
①我は不変であり、死後、色があり、想いがない、と主張する。(35)
②我は不変であり、死後、色がなく、想いがない、と主張する。(36)
③我は不変であり、死後、色があり同時に色がなく、想いがない、と主張する。(37)
④我は不変であり、死後、色があるのでもなく色がないのでもなく、想いがない、と主張する。(38)
⑤我は不変であり、死後、有限であり、想いがない、と主張する。(39)
⑥我は不変であり、死後、無限であり、想いがない、と主張する。(40)
⑦我は不変であり、死後、有限であり同時に無限であり、想いがない、と主張する。(41)
⑧我は不変であり、死後、有限でもなく無限でもなく、想いがない、と主張する。(42)
3.非有想非無想論
※死後に、想い(意識作用)があるのでもなく、想いがないのでもない我があることを主張する。
①我は不変であり、死後、色があり、想いがあるのでもなく想いがないのでもない、と主張する。(43)
②我は不変であり、死後、色がなく、想いがあるのでもなく想いがないのでもない、と主張する。(44)
③我は不変であり、死後、色があり同時に色がなく、想いがあるのでもなく想いがないのでもない、と主張する。(45)
④我は不変であり、死後、色があるのでもなく色がないのでもなく、想いがあるのでもなく想いがないのでもない、と主張する。(46)
⑤我は不変であり、死後、有限であり、想いがあるのでもなく想いがないのでもない、と主張する。(47)
⑥我は不変であり、死後、無限であり、想いがあるのでもなく想いがないのでもない、と主張する。(48)
⑦我は不変であり、死後、有限であり同時に無限であり、想いがあるのでもなく想いがないのでもない、と主張する。(49)
⑧我は不変であり、死後、有限でもなく無限でもなく、想いがあるのでもなく想いがないのでもない、と主張する。(50)
4.断滅論
※死後の断滅を主張する。
①我は色があり、四大要素から成っている(肉体)が、身体が滅ぶと滅亡し、死後には存在しなくなる。それを根拠として死後の断滅すると主張する。(51)
②色があり、四大要素から成っている我は確かに存在するが、それが存在しなくなっただけで完全に断滅したとはいえない。他に、色を持ち、欲界に属し、通常の食べ物(肉体を養う食べ物、感覚、思考、六識の四種)を食べる別の我が存在する(彼はその我を見、知っている)。その我は身体が滅ぶと滅亡し、死後には存在しなくなる。それを根拠として死後の断滅を主張する。(52)
③色を持ち、欲界に属し、通常の食べ物(肉体を養う食べ物、感覚、思考、六識の四種)を食べる我は確かに存在するが、それが存在しなくなっただけで完全に断滅したとはいえない。他に、色を持ち、心から成り、肢体と感官を備えた別の我が存在する(自分はその我を見、知っている)。その我は身体が滅ぶと滅亡し、死後には存在しなくなる。それを根拠として死後の断滅を主張する。(53)
④色を持ち、心から成り、肢体と感官を備えた我は確かに存在するが、それが存在しなくなっただけで完全に断滅したとはいえない。他に、色の想いを超え、空無辺処に到る別の我が存在する(自分はその我を見、知っている)。その我は身体が滅ぶと滅亡し、死後には存在しなくなる。それを根拠として死後の断滅を主張する。(54)
⑤色の想いを超え、空無辺処に到る我は確かに存在するが、それが存在しなくなっただけで完全に断滅したとはいえない。他に、空無辺処を超え、識無辺処に到る別の我が存在する(自分はその我を見、知っている)。その我は身体が滅ぶと滅亡し、死後には存在しなくなる。それを根拠として死後の断滅を主張する。(55)
⑥空無辺処を超え、識無辺処に到る我は確かに存在するが、それが存在しなくなっただけで完全に断滅したとはいえない。他に、色無辺処を超え、無所有処に到る別の我が存在する(彼はその我を見、知っている)。その我は身体が滅ぶと滅亡し、死後には存在しなくなる。よって、死後の断滅を主張する。(56)
⑦色無辺処を超え、無所有処に到る我は確かに存在するが、それだけで完全に断滅したとはいえない。他に、無所有処を超え、非想非々想処に到る別の我が存在する(自分はその我を見、知っている)。その我は身体が滅ぶと滅亡し、死後には存在しなくなる。それを根拠として死後の断滅を主張する。(57)
5.現世涅槃論
※現世のこの身において苦を滅し、涅槃を実現しているという主張。
①この我は五種の妙欲(色・声・香・味・触の五境に対する五官の欲望)を与えられ、楽しんでいる。それを根拠として、この我は最上の現世の涅槃に到達している、と主張する(欲界)。(58)
②欲は無常であり、変化によって憂い、悲しみ、苦しみ、悩みなどを生じる。この我はそれらの欲を離れ、初禅の境地に達している。それを根拠として、この我は最上の現世の涅槃に到達している、と主張する(初禅)。(59)
③初禅の境地はまだ粗いものである。この我は第二禅の境地に達している。それを根拠として、この我は最上の現世の涅槃に到達している、と主張する(二禅)。(60)
④二禅の境地はまだ粗いものである。この我は第三禅の境地に達している。それを根拠として、この我は最上の現世の涅槃に到達している、と主張する(三禅)。
⑤三禅の境地はまだ粗いものである。この我は第四禅の境地に達している。それを根拠として、この我は最上の現世の涅槃に到達している、と主張する(四禅)。
以上が未来に関する四十四の根拠であり、過去に関する十八の根拠と合わせて六十二見となります。
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