葬送をめぐるさまざまな問題が議論されていますが、その一つに「清めの塩」の問題があります。しかも、宗教の分野にとどまらず、人権問題にまで絡められているようです。
この問題は一見もっともらしく装われているのですが、私の価値観からすれば非常に滑稽で、しかしその奥底において欺瞞が隠されているように思われます。
本来はわざわざ目くじらを立てるような問題ではないのですが、権威に弱い日本社会において、僧侶という権威によって主張されると(しばしばご当人たちは、自分たちは反権威主義だと思っているわけですが、新宗教の世界に身を置いてきた立場から見ると、大変な権威を有しています)、それに影響される人も多いですし、現代日本の宗教における典型的な問題の一つなのではないかと思われますので、私なりの考えをまとめてみたいと思います。
清めの塩を批判する文書(冊子等)やネット上にある説明を見ると、清めの塩を否定する理由として、大きく以下の3点をあげることができるようです。
1.清めの塩は仏教的根拠のない迷信・因習である。
2.故人に対する差別である。
3.差別の温床になる迷信・因習である。
これらについて、一つずつ検討してみたいと思います。
(1)清めの塩は仏教的根拠のない迷信・因習である
これは確かにその通りです。お釈迦様は清めの塩など説いていませんし、経典の中にあるという話も聞いたことはありません。日本古来の習俗です。
しかし、お釈迦様も説いていないし、経典の中にも書かれていないことはダメだというなら、清めの塩を説いている宗派自体、何を根拠に存在しているのかということになるのではないでしょうか(釈尊が阿弥陀仏についての教えを説いたなどという歴史的事実はないなどと指摘することは余計なことでしょうけども)。
そもそも「清めの塩」を非仏教的と批判していますが、それをいうなら、根本的に僧侶が葬儀に関わるという点からして問題とされるべきはずではないでしょうか。釈尊が、僧侶が葬儀に関わることを認められたというような話は、寡聞にして聞いたことがありません(釈尊の葬儀は在家の人々によって営まれています)。まして檀家制度などというものを釈尊が知ったら、どう思われるでしょうか。
日本人が仏教を受け入れたのは、古来の神々に優る力を持った新しい神々という認識によるものでした。その後、仏教に対する理解は深まりますが、力のある神々という側面も脈々として生き続けます。また、そういう意識がなければ、浄土信仰が盛んになるなどということもなかったでしょう。
仏教と葬送儀礼の関わりは、奈良時代から平安時代にかけて、天皇や貴族の葬送儀礼に僧侶が関わったことに始まるのではないかと思われます。一般庶民の葬送に仏教が関わるのは鎌倉時代以降、念仏聖や叡尊教団、禅僧などの活動によるようです。
葬送儀礼が僧侶の専売特許になるのは江戸時代、寺請制度・檀家制度の確立に伴うものです。キリシタン禁制という目的もあり、すべての人はどこかの寺院の檀家となり、葬儀は菩提寺で行うことが義務づけられました。寺院が戸籍の管理など幕府の出先機関のようなような機能を担い、その代わりに檀家という“利権”を与えられたわけです。そのため、神職でさえ仏式で葬儀を行わなければならす、ようやく江戸時代中期に至り、神職とその嫡子だけが神葬祭を認められるようになったほどでした(こういったことも、明治の廃仏毀釈の遠因の一つとなりました)。
また、年回忌に関しては、仏教本来の考え方(インドの伝統ですが)では、49日の中陰を過ぎれば次の生が始まることになっています。当然、満中陰以降の法要については意味がないということになります。年回忌というのは、儒教や日本古来の民俗宗教に由来するもので、これも厳密に言えば、仏教的とは言えません。さらにお盆やお彼岸もインドの仏教に由来する行事ではなく、日本古来の行事に由来するものです。
そういう観点からすれば、現実の寺院で行われていることには仏教以外に由来する行事が非常に多いことを指摘することができます。
しかし、だからといって、日本における現在の仏教のあり方について否定しようというわけではありません。むしろ私は、現実において果たしてきた役割を積極的に肯定するべきだと思います。釈尊の精神を生かしていくことは当然のことですが、それは必要に応じてさまざまな形を取りうるはずです。
あらゆる宗教は、それが起こった時点から不変であるということはありません。教祖の教えを根本としつつも、時代や地域に応じて変化していくものです。それこそが生きている宗教というべきであり、宗教としての役割を果たせるゆえんだと思います。
教祖の説いた教えは、その時代と土地における必要性に応じて説いたものです。となると、教祖が死んだ時点から、それに応じた変化が必要になるわけです。教祖が説いたとおりのままを純粋とし、それ以後の変化を否定するならば、教祖が生きている教団以外は皆純粋ではないとされなければならなくなります。
親鸞聖人は「某(それがし)、閉眼せば、賀茂川に入れて魚に与うべし」と遺言したと伝えられますが、実際には火葬にされ、今も京都の大谷本廟(西)・大谷祖廟(東)において丁重に祀られています。高野山や知恩院のような観光地としての要素がないにもかかわらず、善男善女が次々に訪れているのを見て、その信心の篤さに感心したものです。
これは、遺言に対する違背というより、人間として当然の心情の発露であろうと思います。そういう側面を無視するならば、人間不在の教条主義に陥ってしまうでしょう。
日本における仏教が現在のような姿を取っているのも、歴史的・地域的背景の必要性に応じ、人々の願いに応じてきた結果であって、これが正しくてこれは間違っているなどと簡単に言い切れません。むしろ、日本社会において果たしている役割を積極的に肯定し、活かしていくべきです。宗教とはそういうものだと思います(スリランカや東南アジアなどの南方上座部仏教も、民衆との関わりにおいては、かなり民俗宗教的要素を取り込んでいるようです)。
そういう観点からすれば、仏教的か、釈尊が説かれたかということを根拠に「清めの塩」を問題とする必要はまったくありません。どうしても気になるというのであれば、それこそ仏教的な意味を与えればよいことですし、そのような例はいくらでも見ることができます。
しかし、釈尊の教えを根拠に「清めの塩」廃止せよというのであれば、それ以前に檀家も霊園経営もやめるべきではないでしょうか。当然、お寺を世襲にするなどということ(羅ゴ羅尊者が釈尊の息子であることを理由として仏教教団を受け継ぐようなものです)も問題にされなければならないでしょう。
ここで不信感を抱かざるを得ないのは、自らの利得・利権に関わる問題(檀家や墓地、年回忌、寺の世襲など)は問題とせず、まったく利害を伴わない「清めの塩」という枝葉末節の問題を誇大に問題視し、攻撃していることです。しかも、それが他宗派・他宗教、あるいは日本の民俗文化への偏見・蔑視を含んでいるところに引っかかりを感じますます。
自ら釈尊の教えに忠実であることを標榜しながら、実態と釈尊の教えとの間にある根本的矛盾、もしくはそこで生じる疚しい思いを誤魔化すために、自らの利害にマイナス的影響の少ないところをヤリ玉に挙げているではないかと思うのはうがった見方でしょうか。