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古今之諸宗教考察

仏教

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仏教を基本から考える

六十二見(3)


未来に関する四十四の根拠

次に、未来に関する四十四の根拠が挙げられます。

1.有想論

※死後に想い(意識作用)のある我があることを主張する。

①我は不変であり、死後、色があり、想いがある、と主張する。(19)

アージーヴィカ教などの説という。

②我は不変であり、死後、色がなく、想いがある、と主張する。(20)

ジャイナ教などの説という。

③我は不変であり、死後、色があり同時に色がなく、想いがある、と主張する。(21)

④我は不変であり、死後、色があるのでもなく色がないのでもなく、想いがある、と主張する(22)

⑤我は不変であり、死後、有限であり、想いがある、と主張する。(23)

⑥我は不変であり、死後、無限であり、想いがある、と主張する。(24)

⑦我は不変であり、死後、有限であり同時に無限であり、想いがある、と主張する。(25)

⑧我は不変であり、死後、有限でもなく無限でもなく、想いがある、と主張する。(26)

⑨我は不変であり、死後、均一の有想であり、想いがある、と主張する。(27)

⑩我は不変であり、死後、種々の有想であり、想いがある、と主張する。(28)

⑪我は不変であり、死後、少量の有想であり、想いがある、と主張する。(29)

⑫我は不変であり、死後、無量の有想であり、想いがある、と主張する。(30)

⑬我は不変であり、死後、極端な楽があり、想いがある、と主張する。(31)

⑭我は不変であり、死後、極端な苦があり、想いがある、と主張する。(32)

⑮我は不変であり、死後、楽と苦があり、想いがある、と主張する。(33)

⑯我は不変であり、死後、楽もなく苦もなく、想いがある、と主張する。(34)

2.無想論

※死後に想い(意識作用)のない我があることを主張する。

①我は不変であり、死後、色があり、想いがない、と主張する。(35)

②我は不変であり、死後、色がなく、想いがない、と主張する。(36)

③我は不変であり、死後、色があり同時に色がなく、想いがない、と主張する。(37)

④我は不変であり、死後、色があるのでもなく色がないのでもなく、想いがない、と主張する。(38)

⑤我は不変であり、死後、有限であり、想いがない、と主張する。(39)

⑥我は不変であり、死後、無限であり、想いがない、と主張する。(40)

⑦我は不変であり、死後、有限であり同時に無限であり、想いがない、と主張する。(41)

⑧我は不変であり、死後、有限でもなく無限でもなく、想いがない、と主張する。(42)

3.非有想非無想論

※死後に、想い(意識作用)があるのでもなく、想いがないのでもない我があることを主張する。

①我は不変であり、死後、色があり、想いがあるのでもなく想いがないのでもない、と主張する。(43)

②我は不変であり、死後、色がなく、想いがあるのでもなく想いがないのでもない、と主張する。(44)

③我は不変であり、死後、色があり同時に色がなく、想いがあるのでもなく想いがないのでもない、と主張する。(45)

④我は不変であり、死後、色があるのでもなく色がないのでもなく、想いがあるのでもなく想いがないのでもない、と主張する。(46)

⑤我は不変であり、死後、有限であり、想いがあるのでもなく想いがないのでもない、と主張する。(47)

⑥我は不変であり、死後、無限であり、想いがあるのでもなく想いがないのでもない、と主張する。(48)

⑦我は不変であり、死後、有限であり同時に無限であり、想いがあるのでもなく想いがないのでもない、と主張する。(49)

⑧我は不変であり、死後、有限でもなく無限でもなく、想いがあるのでもなく想いがないのでもない、と主張する。(50)

4.断滅論

※死後の断滅を主張する。

①我は色があり、四大要素から成っている(肉体)が、身体が滅ぶと滅亡し、死後には存在しなくなる。それを根拠として死後の断滅すると主張する。(51)

②色があり、四大要素から成っている我は確かに存在するが、それが存在しなくなっただけで完全に断滅したとはいえない。他に、色を持ち、欲界に属し、通常の食べ物(肉体を養う食べ物、感覚、思考、六識の四種)を食べる別の我が存在する(彼はその我を見、知っている)。その我は身体が滅ぶと滅亡し、死後には存在しなくなる。それを根拠として死後の断滅を主張する。(52)

③色を持ち、欲界に属し、通常の食べ物(肉体を養う食べ物、感覚、思考、六識の四種)を食べる我は確かに存在するが、それが存在しなくなっただけで完全に断滅したとはいえない。他に、色を持ち、心から成り、肢体と感官を備えた別の我が存在する(自分はその我を見、知っている)。その我は身体が滅ぶと滅亡し、死後には存在しなくなる。それを根拠として死後の断滅を主張する。(53)

④色を持ち、心から成り、肢体と感官を備えた我は確かに存在するが、それが存在しなくなっただけで完全に断滅したとはいえない。他に、色の想いを超え、空無辺処に到る別の我が存在する(自分はその我を見、知っている)。その我は身体が滅ぶと滅亡し、死後には存在しなくなる。それを根拠として死後の断滅を主張する。(54)

⑤色の想いを超え、空無辺処に到る我は確かに存在するが、それが存在しなくなっただけで完全に断滅したとはいえない。他に、空無辺処を超え、識無辺処に到る別の我が存在する(自分はその我を見、知っている)。その我は身体が滅ぶと滅亡し、死後には存在しなくなる。それを根拠として死後の断滅を主張する。(55)

⑥空無辺処を超え、識無辺処に到る我は確かに存在するが、それが存在しなくなっただけで完全に断滅したとはいえない。他に、色無辺処を超え、無所有処に到る別の我が存在する(彼はその我を見、知っている)。その我は身体が滅ぶと滅亡し、死後には存在しなくなる。よって、死後の断滅を主張する。(56)

⑦色無辺処を超え、無所有処に到る我は確かに存在するが、それだけで完全に断滅したとはいえない。他に、無所有処を超え、非想非々想処に到る別の我が存在する(自分はその我を見、知っている)。その我は身体が滅ぶと滅亡し、死後には存在しなくなる。それを根拠として死後の断滅を主張する。(57)

5.現世涅槃論

※現世のこの身において苦を滅し、涅槃を実現しているという主張。

①この我は五種の妙欲(色・声・香・味・触の五境に対する五官の欲望)を与えられ、楽しんでいる。それを根拠として、この我は最上の現世の涅槃に到達している、と主張する(欲界)。(58)

②欲は無常であり、変化によって憂い、悲しみ、苦しみ、悩みなどを生じる。この我はそれらの欲を離れ、初禅の境地に達している。それを根拠として、この我は最上の現世の涅槃に到達している、と主張する(初禅)。(59)

③初禅の境地はまだ粗いものである。この我は第二禅の境地に達している。それを根拠として、この我は最上の現世の涅槃に到達している、と主張する(二禅)。(60)

④二禅の境地はまだ粗いものである。この我は第三禅の境地に達している。それを根拠として、この我は最上の現世の涅槃に到達している、と主張する(三禅)。

⑤三禅の境地はまだ粗いものである。この我は第四禅の境地に達している。それを根拠として、この我は最上の現世の涅槃に到達している、と主張する(四禅)。

以上が未来に関する四十四の根拠であり、過去に関する十八の根拠と合わせて六十二見となります。

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2008.07.31
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