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現代宗教を巡る疑問

「神州不滅」と「憲法九条」


共産党が主導して、憲法9条の改正に反対する「九条の会」があちこちにできているそうである。中には「宗教者 九条の和」なる団体まであり、錚々たる顔ぶれが並んでいる。まことにおめでたい人々である。

さて、憲法9条があれば平和は保たれるなどと言う人たちの論を聞いていると、戦時中の「神州不滅」というスローガンを連想する。一見正反対のようだが、実は看板が違うだけで中身は同じではないかと思うのである。

どちらも現実を無視したスローガンによって、地に足のついた思考を否定し、きちんとした現実への対応を拒否しているからだ。

「軍備を持てば戦争をする」などという議論がある。呆れた話だ。

世界約200ヵ国あるうちで、今現在、どれだけの国が軍備を持っており、どれだけの国が戦争をしているか。もし「軍備を持てば戦争が始まる」というのであれば、今頃世界は大戦争の真っ最中である。

「憲法9条が改正されれば徴兵制が復活する」という議論がある。またまた呆れた話だ。

現代の戦争において、徴兵制がどれだけ有効か。むしろ、そういう議論をする人間こそ、心の奥底に徴兵制復活願望があるのではないだろうか(それは必ずしも徴兵制を臨むからとは限らない。自らの論の正当性を証明するためかも知れない)。

そもそも戦争はなぜ起こるのか。端的に言えば、戦争をするほうが戦争をしないよりメリットがあるからである。しかし戦争は大きな犠牲を必要とする。だからこそ、簡単に戦争はできない。

孫子がすでに2千5百年も前に「百戦百勝は善の善なる者には非ず」と述べている通りである。

戦争をするほうが戦争をしないよりメリットがあるから戦争が始まるという観点に立てば、憲法9条に対する観点もずいぶん変わるであろう。

戦争を起こさないということを目的にするのであれば、必ずしも大規模な軍事力は必要ない。他国が侵略しようという気を起こさない程度の軍備を保てばよいのである。

逆に言えば、その程度の軍事力も確保していないならば、他国の軍事的侵攻を誘発する要因になりかねない。つまり戦争を起こさなくても、戦争を起こさせる可能性がある。こちらから起こした戦争であれ、あちらから起こした戦争であれ、戦争は戦争である。最近、各地で運動があると聞く「無防備・平和都市」などその典型であろう。

「神州不滅」を叫び、現実を無視して国民を無謀な戦争に駆り立てた人々と、「憲法9条」を叫び、現実を無視して戦争を誘発しようとする人々のどこに違いがあるだろうか? 単に看板が違うだけではないか。

肝心なことは、平和主義者を気取ることではなく、戦争を起こさせないことである。そのためには、現実を踏まえた議論が必要であることはいうまでもない。

結局「神州不滅」を唱えた人々が神州を滅ぼしたように、「憲法9条」による平和を唱える人々は平和を損ない、憲法9条を歴史の汚点にするであろう。それが歴史の教訓である。

こういった活動に、宗教界の錚々たる人々が名前を連ねているのを見ると、日本で宗教が不振なのもしかたがないように思う。現実離れしてしまっている。それで常識を備えた一般人を惹きつけることはできないだろう。

なお、憲法9条改正に反対する人々は、「徴兵制の復活」とか「海外で戦争する」とか誇大な表現で危機意識を煽る。これはカルトの典型的な手法である。こういう手法に疑問を抱かない宗教者というのも問題があろう。

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2006.01.24
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