「山王〔さんのう〕さん」と呼ばれ、江都第一の大社として尊崇された日枝神社〔ひえじんじゃ〕は、皇居の南西、山王台(星が丘)と呼ばれる高台の上に鎮座する。
かつては江戸の鎮守・徳川将軍家の産土神として、現在は皇居の守護・東都の祈願所として篤い崇敬を受けている。
主祭神は大山咋神〔おおやまくいのかみ〕で、相殿に国常立神〔くにとこたちのかみ〕、伊弉冉神〔いざなみのかみ〕、足仲彦神〔たらしなかつひこのみこと〕(仲哀天皇)を祀る。
江戸時代には日吉山王神社・日吉山王権現社・江戸山王大権現・麹町山王あるいは広く山王社などと称されたが、慶応4年(1868=明治元年)以降、日枝神社と公称するようになった。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社である。
「日枝」とは近江国日枝山(比叡山)に因む名であり、大津市坂本の日吉大社〔ひえたいしゃ〕を本祠とする。伝教大師最澄が比叡山に延暦寺を開き、日枝の神を一山の鎮守、天台宗の守護神としたことから、天台宗の教線拡大に伴って各地に勧請された。
また「山王」というのは、最澄が遊学した唐の天台山国清寺の地主神として祀られていた山王元弼真君に因み、天台宗で日枝の神を称したものである。「山」と「王」の字が、それぞれ「三諦即一・一心三観」の理を表しているとされる。
『江戸砂子』『江戸名所図会』などに見える江戸時代の社伝では、慈覚大師円仁が武蔵国入間郡河越に星野山無量寿寺を建立した際、鎮守として日吉山王を勧請した(現在の埼玉県川越市小仙波町の日枝神社)。これを文明10年(1478)、河越城主・太田道潅が江戸城を築くに当たり、江戸城内に勧請し、鎮守としたのが創祀とされる。
しかし、熊野那智大社文書の貞治元年(1362)の旦那願文に「豊島郡江戸郷 山王宮」がみえることから、当社の起源はそれ以前に遡り、平安時代後期、江戸郷を開発した江戸氏によって祀られたことに始まると考えられている。
天正18年(1590)、徳川家康が江戸に入城すると、当社を鎮守とし、城内紅葉山に新社殿を造営した。その後、半蔵門外の元山王に移されたが、明暦大火の後の万治2年(1659)、松平忠房(丹波福知山藩主)屋敷跡・永田馬場の現社地に遷座した。
徳川幕府は、当社を江戸城の鎮守社、将軍家の産土神として尊崇し、二代将軍秀忠は元和3年(1617)に社領100石を寄進、さらに三代将軍家光は500石を加増して合計600石とした。
また、江戸城外に遷座してからは庶民の参詣も許されるようになり、江戸の産土神として広く崇敬を集めるようになった。
当時の別当は天台宗の観理院〔かんりいん〕で、その下に圓成院、成就院など10坊があった。また、当初の神主は日吉大膳であったが、元禄10年(1697)、日吉大社の社人・樹下民部を神主とし、日吉大膳の子息を民部の後任に充てた。以後、樹下民部が山王権現の神職を世襲した。
氏子地域は日本橋・京橋・芝・麹町などで、6月15日の大祭(山王祭)は神田明神の大祭(神田祭)と隔年で行われ、氏子町内から豪華な45基の山車、さらに踊屋台・地走り踊・練物などの付祭が出た。両社の祭は、神輿が江戸城に入って将軍が見物したところから「天下祭」と呼ばれ、京都・祇園社(八坂神社)の祇園祭、大阪・天満宮(大阪天満宮)の天神祭とともに「日本三大祭」と称されるようになった。
明治元年(1868)、東京遷都に当たり、准勅祭社〔じゅんちょくさいしゃ〕に列せられた。同5年(1872)府社とされたが、皇城の鎮護ということにより、同15年(1882)官幣中社となった。さらに大正天皇の即位に際し、天皇が氏子区域内で誕生されたことをもって官幣大社に昇格した。
当社の表参道・西参道・新参道の入口には、それぞれ大きな山王鳥居が立つ。これは、鳥居の笠木の上に破風が付いていることで、別名「破風鳥居」、あるいは合掌しているような姿から「合掌鳥居」とも呼ばれる。
表参道正面の石段を山王男坂、向かって左の坂道を山王女坂という。女坂は「御成坂」ともいい、昔、将軍が参拝する際にこの坂を通ったことによるという。男坂を登り切ると神門があり、神宮祭主・北白川房子様(明治天皇第七皇女)の揮毫による「日枝神社」の額、また社殿側には「皇城之鎮」の額が掲げられている。
旧社殿は万治2年(1659)造営のもので旧国宝に指定されていたが、戦災のため失われた。現在の社殿は戦後復興したものである。
拝殿前には、狛犬の代わりに日枝の神の使いである神猿像が安置されている。向かって右が男、左が女の夫婦猿で、夫婦円満・殖産繁栄の利益があるとして信仰を受けているという。特に女猿は安産・子育てに霊験あらたかだとのこと。
また、外堀通りに面した新参道は、幅の広い石段の両脇にエスカレーターが設置され、現代的な都市空間と神社の杜を結ぶに相応しい景観を作っている。
社宝としては刀剣が多く、歴代将軍などが奉納した太刀27振がある。このうち糸巻太刀(銘・則宗)が国宝、明治天皇御寄進の備前長船長光など14振が国の重要文化財に指定されている。
なお、日本橋茅場町に鎮座する日枝神社は当社の御旅所であり、摂社日枝神社・御旅所と称される。
寛永年間、現社地が山王権現の御旅所に定められた。もとは八丁堀北嶋の祓所まで神輿が船で神幸されていたという。
御祭神は本社と同じく大山咋神、国常立神、伊弉冉神、足仲彦尊で、相殿に浅間大神、菅原大神、稲荷大神を祀る。
江戸時代の山王祭においては、各町内の山車は未明に出立し、山王前で神輿と合流。半蔵門より江戸城内に入って将軍の上覧に預かった後、竹橋御門から内郭を出て常盤橋御門へ進んだ。ここで山車・練物は行列を離れ、神輿のみが御旅所へ向かい、神事を執り行って、本社に戻ったという。
明治10年(1877)、それまで御旅所山王宮と称していたが、日枝神社と改称し、無格社となった。さらに大正4年(1921)、本社の日枝神社が官幣大社に昇格したのに伴い、本社の摂社とされた。
関東大震災で社殿は失われ、昭和3年(1928)に再建。この時、末社の北野神社・稲荷神社・浅間神社を本殿に合祀した。
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明治元年(1868)10月17日、平安遷都の際における賀茂社の例に倣い、明治天皇は勅書を以て氷川神社を勅祭社に定められた。続いて11月8日、日枝神社をはじめとする東京近郊の主だった神社が准勅祭社とされた。これらの神社を「東京十社」と称する。
なお、当初は府中市の六所宮(大國魂神社)、埼玉県鷲宮町の鷲宮神社も含んだ十二社であった。
五十音順
◎王子神社
鎮座地…東京都北区王子本町1丁目1−12
旧称……王子権現 若一王子社 豊島熊野権現
御祭神…伊邪那美命 伊邪那岐命 天照大御神 速玉男之命 事解之男命
旧社格…郷社
◎亀戸天神社
鎮座地…東京都江東区亀戸3丁目6−1
旧称……東宰府天満宮 本所宰府天満宮 亀戸天満宮
御祭神…天満天神(菅原道真公)
※相殿…天菩日命
旧社格…府社
URL http://homepage3.nifty.com/tenjindori/tenjin/
◎神田神社
鎮座地…東京都千代田区外神田2丁目16−2
通称……神田明神
御祭神…大己貴命 少彦名命 平将門命
旧社格…府社(現・別表神社)
URL http://www.kandamyoujin.or.jp/
◎品川神社
鎮座地…東京都品川区北品川3丁目7−15
旧称……品川大明神 品川稲荷社 稲荷社
通称……北の天王
御祭神…天比理乃咩命 素戔嗚尊 宇賀之売命 大国主 恵比須神
旧社格…郷社
◎芝大神宮
鎮座地…東京都港区芝大門1丁目12−7
旧称……神明宮 日比谷神明 飯倉神明宮 芝神明宮
御祭神…天照皇大御神 豊受大神
※相殿…源頼朝公 徳川家康公
旧社格…府社
URL http://www.shibadaijingu.com/
◎富岡八幡宮
鎮座地…東京都江東区富岡1丁目20−3
通称……深川八幡宮
御祭神…応神天皇 外八柱の神
旧社格…府社(現・別表神社)
URL http://www.tomiokahachimangu.or.jp/
◎根津神社
鎮座地…東京都文京区根津1丁目28−9
通称……根津権現
御祭神…須佐之男命
※相殿…大山咋命 誉田別命 大国主命 菅原道真公
旧社格…府社
URL http://www.nedujinja.or.jp/
◎白山神社
鎮座地…東京都文京区白山5丁目31−26
旧称……白山権現社
御祭神…菊理姫命 伊弉諾命 伊弉冉命
旧社格…郷社
◎日枝神社
鎮座地…東京都千代田区永田町2丁目10−5
旧称……日吉山王社 日吉山王権現社 江戸山王大権現 麹町山王 山王社
御祭神…大山咋神
※相殿…国常立神 伊弉冉神 足仲彦尊
旧社格…官幣大社(現・別表神社)
URL http://www.hiejinja.net/
◎氷川神社
鎮座地…東京都港区赤坂6丁目10−12
通称……赤坂氷川神社
旧称……氷川明神
御祭神…素戔嗚尊 奇稲田姫命 大己貴命(大国主命)
旧社格…府社
URL http://www13.ocn.ne.jp/~a_hikawa/
参考:『日枝神社参拝のしおり』(日枝神社)
『摂社 日枝神社(御旅所)』(日枝神社)
『神社辞典』(東京堂出版)
『東京都の地名』(平凡社)