古今宗教研究所 > 慈尊月未照

天地正教と統一教会に関する私的記録と考察

本山道場天聖所
かつての本山道場天聖所(北海道帯広市)

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はじめに

「牟尼之日久隠 慈尊月未照(牟尼の日久しく隠れ、慈尊の月未だ照らさず)」

伝教大師の御願文の一節である。牟尼とは釈尊のこと、慈尊とは弥勒様のことである。正しい仏法の衰えた世の中を表す一節であるが、私にとって、そういう本来の意味とは異なる特別な意味を持つ。

かつて天地正教という教団があった。

登記上は現時点(平成20年4月時点)でも存在しているが、実質的に統一教会に吸収され、名目的に存続しているに過ぎない。

世間的には、統一教会のダミー教団として知られているのではなかろうか。この評価については、全面的には承服しがたいのであるが、9割方は事実である。弥勒様(弥勒慈尊)を本尊とするが、内部では(後に公式にも)来臨下生の弥勒慈尊とは、統一教会で再臨主とする文鮮明氏のこととされていた。

私はこの教団の信者であった…というよりスタッフであった。

この教団において、末期を除くとスタッフの大半は統一教会から派遣された人たちであったが、私は純粋に天地正教の信者として入信した、当時「天地っ子」と呼ばれる存在で、本山関係のスタッフになった天地っ子の第一号だった。

もともと統一教会が大嫌いだった私が、天地正教を通じて統一教会に出会い、いろいろ思うところがあって統一教会を信じることにした(信じたのではなく、信じることにしたのである…100%納得できたわけではなかったので)。

それから、紆余曲折があって、広報関係のスタッフとして東京に出てきて、統一教会の実態(天地正教の幹部も含め)を見るうちに、やはり統一教会では救われないという感を強くした。唯一、尊敬できたのは天地正教の川瀬教主だけであったが、当時、統一教会から送られてきていた幹部たちは、ごく一部を除いて教主を軽んじており、そこから何か学ぼうというような発想は皆無だった。

そういう実態を見ながら、統一教会・統一原理では救われないのではないかという確信が強くなる一方、否定しきれる材料もなかった。そんなときに、日韓佛教福祉協会の柿沼洗心会長に出会ったのであった。

最初は個人的な出会いであったが、その後、天地正教が柿沼会長と交流するようになったため、公私にわたる付き合いとなった。

さて、私が天地正教の信者であることを知った柿沼会長が、天地正教が弥勒信仰ということで、私に言ったのが、冒頭の「牟尼の日久しく隠れ、慈尊の月未だ照らさず」という伝教大師の御願文の一節であった。
後に、初めて柿沼会長が天地正教の道場に招かれ、法話をしたときにも、最初にこの一節を述べ、「弥勒とは世を照らす光のこと、みんなが弥勒にならなければならない」と話した。

私がこれを聞いたときは、柿沼会長は比叡山で修行しているので、伝教大師の言葉の中から弥勒様について触れたものを持ってきたのだろうとぐらいに思っていた。そして、疑問を感じるようになっていたとはいえ、半分以上は信じていたので、その言葉を聞きながら、内心では「いや、弥勒様は来ているんだ」などと思っていた。

ところが、柿沼会長は意味もなくこの言葉を引用したのではなかった。天地正教が文鮮明氏を弥勒だと信じていることを知った上で「慈尊の月未だ照らさず(弥勒様は未だに現れていない)」、つまり、聞くほうは誰も気づかないようにしながら、はっきりと「文鮮明氏は弥勒ではない」と言っていたのであった。

後にこのことを悟ったとき、思想の違う相手に不快感を与えず、しかもはっきりと自分の意志を表明する話し方があることにひたすら感心したものである。さらにその後の経緯を通して、自分の言いたいことを言うだけが、自分の思いを通す方法ではない(むしろ非効率)ということを実感したものである。

それはともかく、以来、私にとって「慈尊月未照」という言葉は、文鮮明氏は弥勒ではない(ひいてはメシアでもない)という象徴的な言葉となったのである。あるいは「天地正教」というものについての私自身の結論でもある。

10年前、このサイトを立ち上げたのは、宗教宗派を超えて信仰や幸福について考えようというためであったが、内心では統一教会(その他の反社会的カルト)に引っかからず、また、間違いに気づいたときにこだわりなくやめられるようにするための一助になれば、という気持ちがあった。

当時はいろいろしがらみがあり、うかつなことを書くと人に迷惑をかけるおそれがあったし、私自身、完全に天地正教から離れてはいなかった。しかし、今はそういうしがらみもほとんどなくなった。

また、天地正教については誤解も多い。そもそも反対派の人たちも、天地正教についてはあまり正確な情報を持っていなかったのではないかと思われる。ワイドショーでの報道など、我々から見ればほとんど情報がないことを露呈するものであったが、一般の人はさらに情報がないから、そういうものと思ってしまうのも仕方がない。

記憶は曖昧になり、資料もずいぶん処分したが、まだ一通りのことは書けると思う。どれほどの人が関心を持つかわからないが、誰にでも触れることのできる形で天地正教についての記録を残すことには意味があるだろう。

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2008.04.08.公開
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