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海神社拝殿

旧官幣中社・海神社〔わたつみじんじゃ〕は神戸市垂水区(旧・播磨国明石郡垂水郷)に鎮座する。JR・山陽電鉄の垂水駅を出てすぐの場所である。
境内は国道2号線(旧山陽道)に面している。その先には垂水漁港があり、昭和32年(1957)に建てられた高さ約12メートルという朱塗りの浜大鳥居がそびえている。

御朱印

御祭神は底津綿津見神〔そこつわたつみのかみ〕・中津綿津見神〔なかつわたつみのかみ〕・上津綿津見神〔うわつわたつみのかみ〕の綿津見三神で、大日孁貴尊〔おおひるめむちのみこと〕を配祀する。

神社の縁起によれば、神功皇后〔じんぐうこうごう〕が三韓征伐よりの帰られる途中、この地の海上で暴風雨が起こって、御座船が進めなくなった。そこで皇后が斎戒して綿津見三神を祀ったところ、たちまち風雨は治まり、無事に帰ることができた。そこで、この地に社殿を建てたのが御鎮座の由来という。『日本書紀』に見える廣田神社生田神社長田神社住吉大社の鎮座伝承と関わりが深い。

現在では御祭神の名により社名を「ワタツミ神社」と訓むが、古くは「アマ神社」あるいは「タルミ神社」と訓んだ。現在、一般には「カイ神社」と呼ばれることが多い。かつては日向大明神、衣財田〔えたからだ〕大明神とも呼ばれていた。

一ノ鳥居より境内を望む

「海」を「ワタツミ」と訓ませるのは本居宣長の説に基づくが、『播磨国官幣中社海神社史』は、古例の通り「アマ」もしくは「タルミ」と訓じるのが適切だとする。

「タルミ」と訓むのは、大同元年(806)の神抄格勅符抄に「播磨明石垂水神」とあるように、本来は「垂水神」と呼ばれており、「海神社」と表記されるようになって以降も古い呼び方が残ったものと考えられる。

境内

また、延喜式には「海(アマ)神社」と記されている。これは、明石国造として栄えた海直〔あまのあたい〕(大倭直〔おおやまとのあたい〕の同族で、後に大和赤石連〔やまとのあかしのむらじ〕と称するようになる)の氏神として奉斎されていたことによるものであろう。
そのため、以後、「海」と書いて「アマ」あるいは「タルミ」と訓ずるようになったのだと思われる。

海上交通の要衝に位置することもあって、古くより海上鎮護の神として篤く崇敬された。大同元年(806)に神封10戸を寄進され、貞観元年(859)には従五位上を賜った。延喜式においては明石郡・海神社三座として名神大社に列せられ、祈年・月次・新嘗の官幣に預かっている。天慶3年(940)には正五位下を授かった。

浜大鳥居

中世以降、戦乱等のために一時社運が衰えるが、天正11年(1587)、豊臣秀吉によって垂水郷山内の山銭が祈祷料に充てられた。

江戸時代には歴代明石藩主が篤く崇敬し、祭祀料2石を寄進するとともに、毎年2月に参拝するのを例としていた。また、万治元年(1660)・延享2年(1745)に社殿の修理・改築を行っている。

江戸時代の初頭頃より日向大明神と呼ばれるようになったが、明治4年(1871)国幣中社に列格した際に海神社と復称した。同30年(1897)官幣中社に昇格。現在は神社本庁の別表神社である。

例祭は10月11日で、翌12日には海上渡御祭が行われる。御神輿を乗せた御座船が数十隻のお供の船・守衛船を従え、垂水漁港を出発して、西は舞子沖から東は神戸港沖まで渡御する。

参考:『播磨国官幣中社海神社誌』(海神社)
『海神社御由緒略記』(海神社社務所)
『兵庫県神社誌』(臨川書店)
『神社辞典』(東京堂出版)
『兵庫県大百科事典』(神戸新聞出版センター)

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海神社(わたつみじんじゃ)の概要
◆通称 海(かい)神社
◆鎮座地 神戸市垂水区宮本町5−1 (地図表示:マピオン)
◆社格等 旧官幣中社(現・別表神社)、式内名神大社・祈年・月次・新嘗
◆祭神 底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神
相殿/大日孁貴尊
◆旧称・別称 海(あま・たるみ)神社、日向大明神、衣財田大明神
◆創祀 伝・神功皇后の御代
◆社紋 波に菊
◆例祭 10月11日
◆特殊神事等 1月1〜15日頃 百燈明祈願神事
10月12日 海上渡御祭

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2004.12.08
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