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鷲宮神社拝殿

関東最古の大社と称する鷲宮神社〔わしのみやじんじゃ〕は、埼玉県北葛飾郡鷲宮町に鎮座する。かつては鷲大明神〔わしのだいみょうじん〕、浮き島大明神ともよばれた。中世の資料には「鷲宮〔わしのみや〕」と表記されることが多く、『新編武蔵風土記稿』には「鷲明神社〔わしのみょうじんしゃ〕」とある。

鷲宮神社御朱印

御祭神は天穂日命〔あめのほひのみこと〕、武夷鳥命〔たけひなとりのみこと〕、大己貴命〔おおなむちのみこと〕の三柱。

社伝によれば、神代の昔、天穂日命と武夷鳥命父子が27の氏族を引き連れて来住し、神崎神社を建立して大己貴命を祀った。後に、この地を開拓した天穂日命と武夷鳥命を奉斎するようになったのが当社であるという。

景行天皇の御代には日本武尊〔やまとたけるのみこと〕が社殿を造営し、桓武天皇の御代には坂上田村麻呂〔さかのうえのたむらまろ〕が武運長久を祈り、奥州鷲の巣に当社の分社を祀ったと伝える。

鳥居と社号標

この地は古くから土師部〔はじべ〕が住んでいたとされ、鷲宮という名も「土師宮〔はじのみや〕」から転訛したものという。天穂日命・武夷鳥命は出雲臣〔いずものおみ〕・土師連〔はじのむらじ〕らの祖であり、土師部が彼らの祖神を祀ったものと考えられる。また、无邪志国造〔むさしのくにのみやつこ〕をはじめとして古代関東には出雲臣系統の豪族が多く、それらとの関係も考えられる。

境内には縄文から古墳時代にかけての複合遺跡である「鷲宮堀内〔ほりのうち〕遺跡」がもあり、式外社ではあるが、かなり古くから祭祀が行われていたことは間違いないだろう。なお、当社が初めて文献に登場するのは『吾妻鏡』である。

鷲宮神社本殿

中世以降は、関東の武士たちから篤い崇敬を受けた。12世紀、太田庄の開発領主となった太田氏が当社を太田庄の総鎮守とし、庄内各地に分社が勧請された。

参道

鎌倉時代、太田庄は関東御領(将軍家の家領・将軍直轄地)になったらしく、これに伴って鷲宮は鎌倉幕府の尊崇を受けるようになった。『吾妻鏡』には、幕府による奉幣や神馬奉納の記事がたびたび見られる。

建久4年(1193)11月、鷲宮の宝前に血が流れる凶事があった。占ったところ兵革の兆との結果が出たため、将軍・源頼朝は神馬を奉納し、血で汚れた社壇の荘厳を命じた。建長3年(1251)には北条時頼が若宮別当法印隆弁を奉幣の使者として遣わし、神楽奉納を行っている。翌4年、将軍・宗尊親王が無事に鎌倉へ到着した際にも、京の十八社や東国の諸社とともに奉幣・神馬の奉納を受けている。正応5年(1292)には北条貞時によって社殿が造営された。

="神楽殿"

建武2年(1335)、新田義貞が神馬を奉献。しかし同年、小山氏が箱根山の合戦で新田氏を破った戦功により太田庄を拝領した。太田氏の流れを汲む小山氏は鷲宮を深く敬い、応安5年(1372)、小山義政は社殿を再興、永和2年(1376)には太刀を奉納した(現・国重文)。しかし、義政は鎌倉府に背いて滅ぼされ、太田庄は鎌倉府の御料所となった。

古河公方〔こがくぼう〕を称した足利成氏は当社を祈願所とし、以後、歴代の古河公方もこれに倣った。特に足利晴氏は社領への守護不入と諸公事の免許、社領の寄進などを行っている。

鷲宮の神主である大内氏は鷲宮城主でもあり、在郷領主としての性格も備えていた。
河越の合戦で足利晴氏が北条氏康に破れた後、古河公方は名目的な存在となり、太田庄も小田原北条氏の支配下に入った。氏康は鷲宮の社領を安堵し、大内氏も北条氏の配下に組み込まれて、その北関東攻略の兵站基地としての役割を担った。
境内奥に拝殿と本殿が見える 晴氏の子・義氏が没し、古河公方が名実ともに絶えると、北条氏は当社を祈願所とし、さらに社領を寄進している。

江戸時代には徳川将軍家から篤い崇敬を受けた。天正18年(1590)、関東に入国した徳川家康は、当社に400石の神領を寄進し、歴代将軍も朱印状を発給して、これを安堵した。

鷲宮には別当寺として大乗院を筆頭に万善寺・実相院・宝珠院・福伝坊などがあって両部神道による祭祀を主張し、唯一神道に一本化しようとする大内神主としばしば対立した。しかし、慶応4年(1868)の神仏判然令が出されると、大乗院は破却された。

明治元年(1868)、神祇官直支配の准勅祭社に列した。旧社格は県社で、平成13年(2001)、神社本庁の別表神社に加列した。

源頼朝お手植えの木斛(もっこく)

由緒ある神社に相応しく広い境内である。大鳥居をくぐって参道を進むと広場になっており、その奥に、参道をはさむような形で拝殿・本殿と神楽殿が向かい合っている。つまり、鳥居側から見ると、広場の奥に拝殿と本殿が横を見せる形で並んでおり、少々不自然な感じである。仏堂が破却された名残であろうか。

境内には八幡太郎義家駒繋ぎの桜や源頼朝お手植えの木斛〔もっこく〕(倒れた株を保存している)などがあり、歴史を感じさせる。文化財も多く、小山義政が寄進した太刀(国指定重文)の他、銅鏡や古文書などが件の文化財に指定されている。

また、年に6回、神楽殿において奉納される「土師一流催馬楽神楽〔はじいちりゅうさいばらかぐら〕」は関東神楽の源流とされ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

参考:『鷲宮神社』(鷲宮神社)
『神社辞典』(東京堂出版)
『埼玉県の地名』(平凡社)

鷲宮神社公式サイトへ

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鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)の概要
◆鎮座地 埼玉県北葛飾郡鷲宮町鷲宮1丁目6−1 (地図表示:マピオン)
◆社格等 旧・県社(現・別表神社)、元准勅祭社
◆祭神 天穂日命、武夷鳥命、大己貴命、他合祀神9柱
◆創祀 伝・景行天皇の御代
◆社紋 三つ巴
◆例祭 3月28日
◆特殊神事等 12月初酉の日 大酉祭
◆文化財 太刀(銘・備中国住人吉次作)〔重要文化財〕
土師一流催馬楽神楽〔重要無形民俗文化財〕

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2005.03.07
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